1: YG防衛軍 ★@\(^o^)/ 2016/04/14(木) 20:47:56.61 ID:CAP_USER*.net


激情家、いや、荒ぶる神だろうか。名前のフリストは、ブルガリア語で「キリスト」の意味である。
20世紀末のサッカー界に降臨した『怒れる救世主』だった。
乱闘、報復、暴言――。祖国の名門CSKAソフィア在籍時には乱闘騒ぎで永久追放処分を受けたこともある。
まだ10代の頃だ。半面、この激しい性格が超一流のフットボーラーへと押し上げる動力源でもあった。
「我々のチームには数多くのテクニシャンがいたが、強い個性とアグレッシブさを兼備する彼のような選手を求めていた」
ストイチコフをバルセロナ(スペイン)へ引き抜いた名将ヨハン・クライフの回想だ。1989年夏である。
ブルガリア政府の横やりが入り、実際にバルサへ加わるのは1年後のことだが、まだ24歳という若さ。
師クライフの手引きによって、一気にワールドクラスへの階段を駆け上がった。
売り物はハンマーのような左足と一瞬で敵を置き去りにするスプリント能力。
CSKA時代の1989年には38ゴールを量産し、ヨーロッパ各国リーグの最多得点者に贈られる
ゴールデンブーツ賞を手にしていた。
そして、バルサ加入を機に得点感覚がさらに磨かれる。クライフの指示で左翼に転向。
周辺に大きなスペースを得たことで、ワイドオープンから切れ込み、左足で豪快にネットを射抜く、独特の「型」を築いた。
1992年には、バルサにクラブ史上初のUEFAチャンピオンズカップ制覇をもたらしている。
もっとも「救世主」の名が全世界に広がったのは、2年後にアメリカで開催されたワールドカップだ。
キャプテンとして祖国ブルガリアを牽引(けんいん)。大会得点王に輝く6ゴールを稼ぎ、史上初のベスト4へ導いた。
圧巻は前回王者のドイツを敗退に追い込んだ準々決勝。
美しいアーチを描いてネットに吸い込まれるストイチコフのFKが、逆転勝利の始まりだった。
興味深いことに、この大会で記録した6点のうち、4点がプレースキックによるもの。
「決めて当然」という重圧がのしかかるPKも、涼しい顔で次々と成功させている。
過去の大会ではジーコ、プラティニ、マラドーナら希代の名手がPKを外し、マテウスが決勝でPKキッカーを嫌い、
味方に譲っている。そう考えると、ストイチコフの心臓はやはり並みではない。
「この大会に出てくる連中はワールドクラスのタレントばかりだろう。その中で差がつくのは、才能よりもメンタルなんだ。
精神的にタフな男だけが勝ち残っていける。その一人が、この俺さ」(ストイチコフ)
重責に動じない強心臓が、大舞台で「らしさ」を出し切る源と言っていい。
クライフが惚(ほ)れ込んだ最大の理由も、そこにあったか。1994年にブルガリア史上初の
バロンドール(ヨーロッパ年間最優秀選手賞)を受賞。
格や序列を無視して、過激にサッカー人生を突っ走った男は、紛れもなく小国ブルガリアの英雄だった。
http://www.asahi.com/and_M/interest/SDI2016041336291.html
20世紀末のサッカー界に降臨した『怒れる救世主』だった。
乱闘、報復、暴言――。祖国の名門CSKAソフィア在籍時には乱闘騒ぎで永久追放処分を受けたこともある。
まだ10代の頃だ。半面、この激しい性格が超一流のフットボーラーへと押し上げる動力源でもあった。
「我々のチームには数多くのテクニシャンがいたが、強い個性とアグレッシブさを兼備する彼のような選手を求めていた」
ストイチコフをバルセロナ(スペイン)へ引き抜いた名将ヨハン・クライフの回想だ。1989年夏である。
ブルガリア政府の横やりが入り、実際にバルサへ加わるのは1年後のことだが、まだ24歳という若さ。
師クライフの手引きによって、一気にワールドクラスへの階段を駆け上がった。
売り物はハンマーのような左足と一瞬で敵を置き去りにするスプリント能力。
CSKA時代の1989年には38ゴールを量産し、ヨーロッパ各国リーグの最多得点者に贈られる
ゴールデンブーツ賞を手にしていた。
そして、バルサ加入を機に得点感覚がさらに磨かれる。クライフの指示で左翼に転向。
周辺に大きなスペースを得たことで、ワイドオープンから切れ込み、左足で豪快にネットを射抜く、独特の「型」を築いた。
1992年には、バルサにクラブ史上初のUEFAチャンピオンズカップ制覇をもたらしている。
もっとも「救世主」の名が全世界に広がったのは、2年後にアメリカで開催されたワールドカップだ。
キャプテンとして祖国ブルガリアを牽引(けんいん)。大会得点王に輝く6ゴールを稼ぎ、史上初のベスト4へ導いた。
圧巻は前回王者のドイツを敗退に追い込んだ準々決勝。
美しいアーチを描いてネットに吸い込まれるストイチコフのFKが、逆転勝利の始まりだった。
興味深いことに、この大会で記録した6点のうち、4点がプレースキックによるもの。
「決めて当然」という重圧がのしかかるPKも、涼しい顔で次々と成功させている。
過去の大会ではジーコ、プラティニ、マラドーナら希代の名手がPKを外し、マテウスが決勝でPKキッカーを嫌い、
味方に譲っている。そう考えると、ストイチコフの心臓はやはり並みではない。
「この大会に出てくる連中はワールドクラスのタレントばかりだろう。その中で差がつくのは、才能よりもメンタルなんだ。
精神的にタフな男だけが勝ち残っていける。その一人が、この俺さ」(ストイチコフ)
重責に動じない強心臓が、大舞台で「らしさ」を出し切る源と言っていい。
クライフが惚(ほ)れ込んだ最大の理由も、そこにあったか。1994年にブルガリア史上初の
バロンドール(ヨーロッパ年間最優秀選手賞)を受賞。
格や序列を無視して、過激にサッカー人生を突っ走った男は、紛れもなく小国ブルガリアの英雄だった。
http://www.asahi.com/and_M/interest/SDI2016041336291.html
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