1: 砂漠のマスカレード ★@\(^o^)/ 2015/10/20(火) 16:06:44.64 ID:???*.net


長髪をなびかせ、無尽蔵のスタミナでピッチを駆け回る。サッカー元日本代表の北沢豪氏(47)は
「日本のダイナモ」と呼ばれ一時代を築いた。その一方で日本が初出場を決めた
1998年フランスW杯直前にカズこと三浦知良(48)=現J2横浜FC=らと代表メンバーから外されたことで世間を驚かせた。
衝撃の落選後にはカズと“逃亡”。栄光の裏に隠された波乱のサッカー人生に迫る。
「これからのW杯を戦っていく上で、いろいろと(戦術を)変更しないといけない。そうなると北沢のポジションはなくなる…」
これだけでしたよ。岡田(武史監督)さんから言われた言葉はね。伝えるだけで精いっぱいの感じがしたし、それ以上、言い訳(説明)を聞いても仕方ないので
「分かりました」と途中で話を切った。岡田さんは僕と目を合わせることもなかった。
〈1998年6月2日、フランスW杯直前のスイス・ニヨン合宿。岡田監督は北沢、三浦知良、市川大祐の最終メンバー落選を発表した〉
話は宿舎の岡田さんの部屋で聞いた。正午頃に僕の部屋に電話があって「こちらに来てくれ」と。昼食の直前だったし、もう、自分(の落選)はないと思っていた。
外れる選手を伝えられるものだと考えていた。だから通達されたときは正直、監督に対し「何だ、お前!?」という感じ。
自分はW杯アジア予選の途中に招集され、外される雰囲気もなかった。
選手選考はスポーツに付きものだけど、やっぱり頭にきた。
〈日本が最終予選5試合を終えて1勝3分け1敗と苦戦するなか、北沢は6戦目のUAE戦から招集。
W杯出場を決めたイラン戦までの全4試合で先発起用されていた〉
「今後どうするかは任せる」といわれたから「たぶん(日本に)帰ると思います」と話して自室に戻った。
すぐに嫁(恵理さん、45)と両親に電話をして「外れたから」と伝えた。両親は初めてのフランス旅行で、
僕にしてみればW杯に連れて行くのが何よりの親孝行。それができなくなったのが一番つらかった。
(渡仏の)準備も完璧に済ませていたけれど、キャンセルの手続きは僕がやった。
親父(弘仁さん、76)は「それでも頑張ってきたんだからいいんじゃないか」と励ましてくれた。
家族への報告を済ませてからカズさんの部屋に行ったら、すでに荷造りを始めていた。
一刻も早くこの場を離れたい、という考えは同じ。「一緒に帰りましょう」とすぐにチーム(代表)を去る用意をした。
まずは報道陣が来る前にホテルを出たかった。行き先も決めず、日本協会関係者に用意してもらったレンタカーにカズさんと乗り込んだ。
結果的にそれは文字通りの“逃亡劇”に。6月5日の帰国まで「空白の3日間」の始まりだった。
北沢 豪(きたざわ・つよし)
1968(昭和43)年8月10日生まれ、47歳。東京・町田市出身。
中学時代は読売クラブ(後のV川崎、現J2東京V)ジュニアユースに在籍。
修徳高から日本リーグの本田技研工業(現JFL・ホンダFC)を経て、91年に読売クラブへ移籍。
2002年の現役引退まで同クラブの中心選手として活躍した。J1通算265試合41得点。
代表通算58試合3得点。現在は日本サッカー協会の理事などを務める。
http://www.sanspo.com/soccer/news/20151020/jpn15102011000001-n1.html
2015.10.20 11:00
http://www.sanspo.com/soccer/photos/20151020/jpn15102011000001-p1.html
1997年11月8日、W杯アジア最終予選カザフスタン戦での北沢(左)。豊富な運動量は大きな武器だった
https://www.youtube.com/watch?v=_7-bDCCbQ2E
伝説!外れるのはカズ
前スレ 2015/10/20(火) 13:29
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1445315367/
「日本のダイナモ」と呼ばれ一時代を築いた。その一方で日本が初出場を決めた
1998年フランスW杯直前にカズこと三浦知良(48)=現J2横浜FC=らと代表メンバーから外されたことで世間を驚かせた。
衝撃の落選後にはカズと“逃亡”。栄光の裏に隠された波乱のサッカー人生に迫る。
「これからのW杯を戦っていく上で、いろいろと(戦術を)変更しないといけない。そうなると北沢のポジションはなくなる…」
これだけでしたよ。岡田(武史監督)さんから言われた言葉はね。伝えるだけで精いっぱいの感じがしたし、それ以上、言い訳(説明)を聞いても仕方ないので
「分かりました」と途中で話を切った。岡田さんは僕と目を合わせることもなかった。
〈1998年6月2日、フランスW杯直前のスイス・ニヨン合宿。岡田監督は北沢、三浦知良、市川大祐の最終メンバー落選を発表した〉
話は宿舎の岡田さんの部屋で聞いた。正午頃に僕の部屋に電話があって「こちらに来てくれ」と。昼食の直前だったし、もう、自分(の落選)はないと思っていた。
外れる選手を伝えられるものだと考えていた。だから通達されたときは正直、監督に対し「何だ、お前!?」という感じ。
自分はW杯アジア予選の途中に招集され、外される雰囲気もなかった。
選手選考はスポーツに付きものだけど、やっぱり頭にきた。
〈日本が最終予選5試合を終えて1勝3分け1敗と苦戦するなか、北沢は6戦目のUAE戦から招集。
W杯出場を決めたイラン戦までの全4試合で先発起用されていた〉
「今後どうするかは任せる」といわれたから「たぶん(日本に)帰ると思います」と話して自室に戻った。
すぐに嫁(恵理さん、45)と両親に電話をして「外れたから」と伝えた。両親は初めてのフランス旅行で、
僕にしてみればW杯に連れて行くのが何よりの親孝行。それができなくなったのが一番つらかった。
(渡仏の)準備も完璧に済ませていたけれど、キャンセルの手続きは僕がやった。
親父(弘仁さん、76)は「それでも頑張ってきたんだからいいんじゃないか」と励ましてくれた。
家族への報告を済ませてからカズさんの部屋に行ったら、すでに荷造りを始めていた。
一刻も早くこの場を離れたい、という考えは同じ。「一緒に帰りましょう」とすぐにチーム(代表)を去る用意をした。
まずは報道陣が来る前にホテルを出たかった。行き先も決めず、日本協会関係者に用意してもらったレンタカーにカズさんと乗り込んだ。
結果的にそれは文字通りの“逃亡劇”に。6月5日の帰国まで「空白の3日間」の始まりだった。
北沢 豪(きたざわ・つよし)
1968(昭和43)年8月10日生まれ、47歳。東京・町田市出身。
中学時代は読売クラブ(後のV川崎、現J2東京V)ジュニアユースに在籍。
修徳高から日本リーグの本田技研工業(現JFL・ホンダFC)を経て、91年に読売クラブへ移籍。
2002年の現役引退まで同クラブの中心選手として活躍した。J1通算265試合41得点。
代表通算58試合3得点。現在は日本サッカー協会の理事などを務める。
http://www.sanspo.com/soccer/news/20151020/jpn15102011000001-n1.html
2015.10.20 11:00
http://www.sanspo.com/soccer/photos/20151020/jpn15102011000001-p1.html
1997年11月8日、W杯アジア最終予選カザフスタン戦での北沢(左)。豊富な運動量は大きな武器だった
https://www.youtube.com/watch?v=_7-bDCCbQ2E
伝説!外れるのはカズ
前スレ 2015/10/20(火) 13:29
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1445315367/
続きを読む
